人だけができること

6月も半ばとなり、じめじめと嫌な湿度で憂鬱な季節となりました。

季節の変わり目、風邪の引き始め。

私の友人にも、熱が出てしまったり、喉を痛めて声が変なことになってしまった人がいます。

手洗いうがいをしっかりとし、喉に違和感があるならマスクをして保湿することも大事ですよ。

さて、6月の半ば。

ここ最近の私はずっと学校の課題に振り回されてばかりいます。

新たなことに出会うことは楽しいけれど、それを消化し自分のものとするには時間がかかります。

ちゃんと力になっていればいいなと思うばかりです。

今1番取り組んでいること、それは物語についてです。

大学生になりかつて学んだ教科書に掲載されている(されていた)様々な物語と再び対峙しています。

あの頃よりも様々な角度で見れていることを感じます。

少しは大人になれたってことかな。

明日の私には明日の私なりの物語が生まれるのだろうと思えば、
人生が物語に例えられることの核を理解できそうな気がします。

物語に絶対性はきっとないのだと思います。

なぜなら物語の語り手が嘘をついている物語を知っているからです。

語り手は人間なので間違うし嘘もつくし、言葉が足りないこともあるんだそうです。

こんなことを言ったら国語が嫌いな人は更に国語のことを嫌いになってしまいそうですね。

どうか嫌いにならないでほしいと思います。

物語を読む力をつければ次は自分が物語の語り手になれます。

語り手は人間しかなれません

。AIが書いた文章は色々な人間の人生をミキサーにかけたようなものですから、元は人間です。

物語を自由に想像できるのは、自分だけのものにできるのはきっと人間の特権です。

人生は物語というなら、どうせなら色鮮やかに自由に物語ってみませんか。