ごきげんよう!

はじめまして、八木校で文系教科(今は英語のみ)を担当しているトーネです。

最近蝉が鳴き始め、入道雲が広がる青空が広がり、あゝもう夏だなぁと思うこの頃ですが、皆様は如何にお過ごしでしょうか?

まぁ今回がブログ一発目だから、意識高い系で行こうと思います!

期末テストが終わり、そろそろ夏期講習が始まり、楽しい夏休み受験生は特におべんきょうしなくちゃいけなくなるわけです。

そうなると、「勉強しないとダメだ」とか、「勉強しやな」、特に社会科であれば「暗記しないと…」という怨嗟の声?とも形容できる言葉があちらこちらで聞こえてくることは容易に想像できるわけです、、

が、ちょっとまてぇえぇぇ!
勉強、いや「学ぶ」ということをそのように捉えたまま思考停止していいのか!
と、わたしは思います。

というのも、学ぶことを助け育むのが教育なわけですが、教育の概念は古代ギリシャやローマにまでさかのぼります。例えばローマでは修辞法、幾何学といったいわゆるリベラルアーツを教え身につけさせる制度が確立していました。

つまり、遥か昔からこんにちまで、学ぶことをずっと人間は行ってきたのです。

てか、ちょっと思い出してください!
わたしたちが小さいとき、なぜ空は青いのか?
これは何、どうして、なぜ?と色んなものに興味を示して、そして知ろうと、考えようとしたはずです。そこに知らなければならないと、覚えなければならないなんてあったでしょうか?
あるのは喜びや感動ではなかったですか?

つまり、人間は元来、知らないものを知りたがり、知ったものをもっと考え直す。そんな作業が大好きなのです。

もちろんそれが、多様な技術や文化をもたらし、人間の生活に寄与し続けたことは言うまでもないでしょう。

こんにちでは、
テストのために勉強しなければならない。
受験のために勉強しなければならない。
暗記しなければならない。

確かにそうです。その通りです。
いわゆる「手段」としての勉強です。
実際に学生時代の勉強の成果が、テストや受験に反映し、それが進路に影響を与えます。
すなわち勉強が人生に関わるわけです。
だから勉強しないといけない。
あと、数学も英語だって究極的には暗記、記憶の問題です。それが基本です。

ですが、その捉え方だけでいいのでしょうか。
勉強すること、学ぶことそのものに意義や価値はないのでしょうか?

わたしはあると思います。
「目的」としての勉強です。
むしろ
こちらの方が学ぶことの本質だと思います。

取り敢えずやっつけ仕事で勉強しようと思っているそこのあなた、ちょっと立ち止まってみてください。

受験生のみなさんだって、今なら余裕があります。きっと間に合うはずです。

時間や成績なんて取り敢えず置いといて
じっくり教科書やノートを眺めてみてみましょうよ。余裕があれば考えてみましょうよ。小さい頃に戻ってみましょうよ。
新たな発見やギモンが必ずあるはずです。

だって人間だもの。

と、勉強嫌いなわたしからは以上です。